本日、2022年3月22日
さて、ネオナチを知らない方もいらっしゃるかもしれません。
英語では、 neo-Nazism と言います。
ナチズムを復興しようとする、第二次世界大戦後の社会的あるいは政治的運動の総称になるんだそうです。
今回は、ウクライナのネオナチについて少し深堀していきます。
ナチスドイツ(1933~1945)の時代に、ウクライナはソ連でした。
しかしウクライナはソ連に取り込まれる前には、一度も統一した国家がなかったそうです。
第二次世界大戦の1941年ドイツ兵が、ソ連に侵攻してきた時に、西部に住むウクライナ人は、ドイツ兵を解放者として、迎え入れたそうです。
ソ連圏にも関わず、公然とナチスドイツ軍に協力していた歴史があるんです。
特に西部に住むウクライナ人は、ソ連領であることは、面白くなかったようです。
既に1921年にウクライナ民族主義組織、OUNがあったそうです。
1940年初頭、ウクライナ民族主義者組織は、「ステパン・バンデラ」が指導者として選びました。

ドイツが侵攻してきた1941年、ステパン・バンデラはウクライナ独立宣言をしてしまいます。
しかしドイツが侵攻してきたときは、ウクライナは既に同盟国のため、身勝手に独立してしまうことにドイツの怒りを買います。
ステパン・バンデラは、逮捕され、第二次世界大戦が終了するまで、獄中にいることになります。
ステパン・バンデラはユダヤ人嫌いの反共産主義だったのですが、そのイデオロギーは、ウクライナ人に受け継がれることになるのです。
そして、ユダヤ人やポーランド人が虐殺され民族浄化を図ります。
しかしドイツ軍がソ連軍に敗北することになります。
ウクライナは、又ソ連領になるのですが、ステパン・バンデラの民兵達は、ゲリラ作戦を続けます。
このゲリラ戦は、1950年代中頃まで続きます。最終的にバンデラの協力者は拘束されたり、国外に逃亡しました。
一方、1946年以来ウクライナの民族主義者とCIAは、強い結びつきがありました。
ウクライナの民族主義組織やその指導者であるステパン・バンデラの正体を把握していたことをCIAは公開しています。
またCIAはバンデラは恐怖政治を展開していたことで指導者として高い評価を得たこともわかっています。
バンデラとウクライナのナチスたちは、第二次世界大戦後、ヨーロッパに逃れ、CIAが彼らをかくまっていたこともわかってきています。
大元となるナチスは、皆さんがご存じの通り、裁判となり戦犯として罰せられる運命となりましたが、ウクライナのナチスたちは裁判にかけられることもなく、免れています。
ウクライナのナショナリズムはしっかりと世代から世代へと受け継がれて行くことになります。
そして数々の民族主義者組織が作られていき、非常に暴力的な国家になっていくのです。
そのウクライナの極右集団の一つのグループであるC14グループリーダーのスピーチです。
かなりヤバい感じです。
これも今回は、公開ではなく、限定公開の動画としています。